たまりば

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Posted by たまりば運営事務局 at

ポテトチップスに感心

世の中には「どうでも良いことなんだけど、ちょっと気になる...」ってことがたまにあるよね。いや、少なくともオレはある。チョイとキーボード叩いて検索すれば大抵のことが調べられる時代にも拘わらず、わざわざ『検索』するほどのことでも無いから"わからないまま保留"というようなことって誰でも1つや2つはあると思うんだ。

今日、立ち寄ったスーパーの商品棚を見て、ふとそれを思い出した。学生時代にスーパーでバイトをしていた頃から気づいていたことだが、今まで真相を知らなかったこと。それはポテトチップスでお馴染みのコイケヤ『うすしお味』と『のり塩味』だ。...ちなみに最近のコンビニでは多くの店で『うすしお味』が並んでいない。あまり人気無いのかな?

当時はインターネットなんか無かった時代、調べる手段は電話くらいしか無かっただろう。気にはなっていたが、大学生が"こんなこと"を電話で聞くのも恥ずかしいし、わざわざ聞くほどのことでも無かったこと。しかし、今はネット全盛期の時代だ。勇気を振り絞って、今日、聞いてみた...ネット上の『お客様窓口』にだけどさ。

『貴社商品のポテトチップス"うすしお"と"のり塩"、なぜ"のり塩"は漢字なんですか?』

以前、誰かにその答えを聞いた気がするんだが、その答えも人伝えなのでハッキリした真実は知らなかったんだ。一応、質問をする前にネットでも探したんだが...その答えは見つけることが出来なかった。そして質問をして数十分後...早々にその回答がe-mailで返ってきた。すごいな、湖池屋お客様センター。こんな質問にもサポート体制は完璧だ。惚れた。

『"塩"の表記でございますが、漢字で書くと「塩」が強調されるイメージになるので「うすしお味」はひらがなを、塩味を効かせた「のり塩」は漢字で表記しております。』

...補足の必要は無いね。そういうことだ。言われてみると確かにそう思う。『のり塩』は『うすしお』よりも"塩味"って感じがするもんな。ネーミングの効果はすごい。「へぇ~」と思ったのはきっとオレだけじゃないだろう。

オレの中で、十数年に及んだ些細な疑問がまた1つクリア出来た。そして湖池屋の迅速さには大いに感心したよ。ビジネスマンとして、このカスタマーサポート体制は見習うべきものがあるね。

他人にとってはくだらないことかもしれないけど、オレにとっては色々な意味で大いに『向上』できた日になった。人は『夢』と『疑問』は1つクリアすると、己もまた1つ成長するもんだ。今日は良い日だ!  


  • 2011年09月07日 Posted by ゴンすけ at 23:59Comments(0)

    一発勝負

    「ギャンブルが好きか?嫌いか?」と聞かれたら「嫌い」。では、「賭け事はどうだ?」と聞かれたら「嫌いではない」。最後に「勝負事は?」と聞かれたら「好き」と即答するだろう。

    オレは幼稚園~中学までの、週2回の剣道を約10年間続けてきた。並行して中学~大学までの10年間は陸上競技部で汗水を流して毎日ダッシュと筋トレに明け暮れてきた。言い換えると、人生において『ちょっとした体験レベル』ではなく本気で続けたスポーツは剣道と陸上の2つしかない。別に多けりゃ良いってモノでもないから、それはそれで構わないと思うけどね。

    そしてその2つのスポーツには共通することも2つあるんだ。1つ目は"ボールを使わない競技"であること。今でも自分では運動神経が良い方だと思っているが、いかんせん"球技"だけは例外だった。そのセンスの無さには我ながらビックリする。そもそも球技自体が特に好きなスポーツでは無いので、野球、サッカー、バレーボール、バスケットボール、ハンドボール...軒並み苦手だったな。好きでも無いスポーツは上達するはずも無い。当たり前と言えば当たり前な話だ。そのせいか、今までプロ野球を1回表~9回裏までジッと観たことなんか一度も無いし、「どこファン?」と聞かれても、返事に苦しむ。WBCやワールドカップで日本国中が盛り上がっていても未だ試合結果すら気にもならない。ま、そりゃ自国が勝つのは気持ちいいけどね、オレにとっては点差や過程はどうでも良いんだ。そんなオレを周りの友達は"非国民"呼ばわりする。失礼な!

    そして2つ目は"個人競技"であることだ。剣道も陸上も、一応、団体戦やリレーなどのチームプレーを求められることもあるが、基本的には己の実力を試すスポーツなんだ。剣道ではそこらの体育館でやる大会でもそれなりに緊張したが、武道館での試合となると小学生ながらに心臓バクバクだったっけな。手にした竹刀が一瞬でも遅ければ一本取られる。戦国時代だったら一瞬先は死だ...現代で良かった。陸上競技でもその一瞬の緊張感は同じだ。オレはずっと短距離種目を続けてきたが、100mや200mのスタート時の一瞬は、自分の鼓動が聞こえてきそうなくらいだった。この前やってた陸上世界選手権の決勝なんか観てると、彼らがスタート位置についただけで関係無いオレまで相当な緊張というか興奮を覚えたもんだ。ボルトのフライング一発アウトなんて厳し過ぎだよな。

    こんな2つのスポーツを続けてきたオレ。そう、簡単に自分を表すならば...「ただならぬ緊張感と一発勝負を好み、実力世界こそ全てと考え...協調性に乏しい...」のがオレなんだ。社会生活で協調性に欠けるのは如何なものかと自覚はしているが...自分を曲げてまで他人に合わせようというつもりは無い。良く言えば『意志が固い』のであり、悪く言えば『頑固』だ。...どっちも紙一重だね。

    そんなオレ。今日はここ数日の為替動向を相当観察&情報収集してきた中で、本日のユーロ安に"一発勝負"をかけてみた。スポーツも投資も勝つか負けるかの二者択一でしか無い。若干、『投資』というよりも『投機』な判断になるが、このユーロ安が"今は"これ以上進むように思えなかったんでね。ちなみにオレの信条、

    『失敗するよりも成功の可能性が高いと判断できるなら実行する』

    勿論、「石橋を"叩き壊す直前まで"叩いて渡る」タイプだよ、オレは。そして"たまたま"だけど、一発勝負の数時間後にスイス国立銀行が発表した『大きな賭け』のような政策によって、リスクを負ったなりのリターンを得ることができた。

    人生には時として一発勝負も必要だ。知らぬ間に乗ってしまった今のレールから脱出するのであれば、何事もリスクを覚悟で一発勝負に出てみなけりゃこの先もずっと誰かが敷いたレールの上だ。事前に最大限の伏線を張っていれば大失敗なんかするはずも無いさ。『一発勝負』はギャンブルじゃ無いんだ。  


  • 2011年09月06日 Posted by ゴンすけ at 23:32Comments(0)

    タイトスケジュール

    9月も順調な滑り出しだ。忙しいというのは良いことだ。スケジュール的にもなかなかタイトな状態が続くが、営業マンとしては良い感じ。しかし、そのせいで昼食をとりそびれることも増えてきたな...まぁ、いつの間にか10代の頃の体重に戻ったということで、それはそれで良しとしよう。30代後半にもなったら体重が増え続ける方が問題だ。

    移動は専らクルマだが、降りてからもスーツ&革靴で走らねばならないことがやたらと多い。そこに加えて、この天気だ。一日の間にスーツがズブ濡れになることも多々あるので、その度に「車中に予備スーツを準備しておこう」と思うのだが...なぜか朝になると忘れているのでその都度後悔。そういう面では学習能力が無いな、オレ。

    最近は日々の走行距離も増え、革靴ダッシュの頻度も増え、あちこちの客先でも喋り続ける毎日。仕事面ではとても充実しているが、営業のし過ぎでデスクワークが溜まりに溜まってきた。

    上記の都合により、今日のノートは終了。やることが多いってのは素晴らしい!  


  • 2011年09月05日 Posted by ゴンすけ at 23:58Comments(0)

    2ヵ月が経ち...

    このblogを書き始めてから1ヵ月以上が経った。ここまで続けるつもり...というか、続けられるとも思っていなかったけど、"いつまで"というようなことを考えずに書き続けていたら1ヵ月が経っただけの話。毎日、深く考えずにその都度思いついたことを書いているだけなので、楽といえば楽な作業だ。書いているオレ自身は校正どころか、書きながらの読み返しさえ全くしていないので、言葉遣いや単語熟語、誤字脱字や文脈の流れなどがおかしいかもしれないが、それはそれでご愛嬌。

    しかし、1ヵ月続けていると「自分で書きながら、その書き途中に新たな自分に気づく。」ということが往々にしてあることがわかった。特に『夢』や『営業』について書いていると、「そういえばオレにはこんな夢があったっけな」とか「営業に対してこんな情熱を持っていたはずだ」とかね。ある意味、オレにとってこのblogを書き続けることは、その時々の自分を再確認するための『自己分析ツール』なのかもしれない。そのせいか、精神的、気分的にモヤモヤしているときなどは、いざ書こうと思っても露骨に凹んでいる自分が表に出てくるので、「オレという人間がどういう状況にあるのか?」を正確に把握できるようになった。とりあえずこの3ヵ月くらいの間は色々な出来事があり過ぎたのか、精神的にはドン底な気分。しかし、幸いオレには大好きな『仕事』があるので、その業務に集中している時は相当気分もノッている。その状態を維持させれば凌げることだろう。

    『継続は力なり』、『塵も積もれば山となる』。何事も継続して身につけたものは自分だけの武器だ。もっと自分を磨いて完全武装を目指すには、今まで以上に自分を把握する必要がある。自分を把握できたのなら、あとは前に進むだけだ。前進あるのみ。

    『毎日、すべてにおいて向上して行く』...これがオレなんだ。  


  • 2011年09月04日 Posted by ゴンすけ at 23:58Comments(0)

    ヒアリング

    この仕事は知識もさることながら会話も重要な武器である。勉強ばかりで知識をかき集めたところで、それが営業マンとして必ずしも役に立つとは言えない。頭でっかちになることよりも、いかに「コイツと会うと多くの情報をもらえる」という印象を相手に残すことが出来るかが重要だ。それが演技であれ何であれ。そのためには我々営業マンにとって"会話"は武器であり、顧客との会話を途切れさせてしまうのは戦場の最前線で"弾切れ"になるのと同じようなもんだ。

    さて、そんな土曜日。今日は朝から夜まであちこちでコンサルを行ってきた。ほぼ喋りっぱなしの一日となったが、喋ることは大好きなのでこんな日は疲れを感じない。敢えて言えば喉がカラカラになるくらいかな。会話の中身については、オレにとってはどこで喋ろうと根本的な部分に違いは無いので同じテーマをひたすら繰り返すだけである。しかし、対する顧客の立場としては...特に『生命保険』という商品は『人生の中で、個人が締結する最長の"契約"』だと思っている。何十年にもわたる"超長期的な契約"なんて、人生の中でそんなに何度もあることじゃない。そのような独特な商品を扱うオレには、常に全神経を働かせて"より完璧"なプランを提供する責任がある。対面中は常に全力なんだ。

    そこで展開する生命保険の営業というのは、『まずは相手にヒアリングを"徹底的"に行い、次に手書きのイラストを交えて"視覚的"に解説し、そして想定される全ての不安を解消し、最後は相手に期待以上の安心感を提供する。』という至極当然な作業の連続である。オレにとってはマンネリな一連のプロセスであっても、顧客からすれば人生をかけた大きな契約だ。プロである以上、当然、オレだって契約を頂いた後に顧客の脳裏へ『?』が残るような契約書は残したくない。

    そのプロセスにおいて、特に重要なのが『ヒアリング』だ。保険の営業のみならず、どんな営業であっても『ヒアリング』を疎かにすれば高い顧客満足度は得られない。ニーズを無視した一方的な商品など誰が買うものか?...いやいや、それが不思議なことに大手生保で加入している方の多くは自分の契約に『?』を抱いているのが実態なんだ。

    『無理に売るな。客の好むものも売るな。客のためになるものを売れ。』

    何年か前に読んだ本にこんな一文があったのを覚えている。たしか、松下幸之助=松下電器産業(現・Panasonic)創業者の言葉だったはずだ。偉大な成功者が発した言葉は大抵"名言"扱いされるのがよくあるパターンだけど、この一言はとても簡潔に、的確に表現してると思うんだよね。そのせいか、一回しか読んでいないのにナゼか頭にしっかり残っている。

    『客のためになるものを売れ。』これは我々保険外交員にも大事なメッセージだ。往々にして生命保険という商品は『保険会社にとって良い商品=顧客にとって良くない商品』であることが多い。ということは、その逆は『顧客にとって良い商品=保険会社にとって良くない商品』ということにもなる。数多くの保険会社、その商品群の中から顧客の不安を払拭できるプランを企画するのがオレの仕事。『ヒアリング』を充分過ぎるほど行っていれば、そのニーズを読み違えることなどあり得ない。ニーズを満たした契約に対して顧客が不満を持つこともあり得ない。

    目先の利益にとらわれると目の前の大事な顧客の信用を失うことも多い業界。『ヒアリング』は絶対に軽んじてはならないんだ。

    さて、今日はこれからあちこちで集めた『ヒアリング』を集約して設計を練らねばならん。『客のためになる"生命保険"』というのは結構アタマを使うんだが、その結果、とても感謝してもらえるのもこの仕事の醍醐味だ。...その前にお腹もすいたし、続きはファミレスでじっくり考えるか。  


  • 2011年09月03日 Posted by ゴンすけ at 22:37Comments(0)

    『営業』の醍醐味

    世の中に『営業職』という仕事はごまんとある。思いつくだけでも"公務員・教育・医療"あたりを除けば民間企業の圧倒的多数は何かしら『営業』が付きまとうはずだ。大企業であれば現場の最前線が『営業部』であり、個人事業主だって『営業』無しには続かない。営業マンを雇う余裕が無ければクチコミに頼るか広告を打つなりしてカバーするほか無いはずだ。先日お会いした高校教諭の方も「生徒獲得のために中学校回りをするんだよ。営業だ、営業。」と言っていたので、今や教育機関も営業が必要な時代らしい。

    そんな『営業職』であるが、オレは社会人になって就職活動を行うにあたり、どうしてもやりたかった仕事が『営業』だった。現場の最前線に立って、顧客との駆け引きを楽しむ。オレにとっては"仕事"というよりは"ゲーム感覚"なのかもしれない。今でもその気持ちは何ら変わっていないから、"今の時点"では天職だったんだろう、たぶんね。...先はわからないけどさ。

    ただ、一口に『営業』と言っても業種によってその"やり方"は千差万別。国・自治体や民間企業を相手にする商売は基本的には価格力競争が主体であり、個人相手の商売では価格も重要だが商品力競争が中心となる。同じ『営業』でもその"駆け引き・やり方"は全くの別物だ。扱う商品やサービスによっては営業先の絞り込みも重要なポイントになるのが営業の面白いところだ。

    さて、そこでオレの"現職"、保険代理業はどうなのか?正直なところ、この仕事を始める14年前までは単純に「営業がやりたい」という気持ちだけしか無く、そのターゲットについてはあまり考えていなかった。でも最近、いや...ずいぶん前からだけど、「保険営業という仕事は珍しい」ということに気づいた。

    その理由は当然色々あるわけなんだが、一番の魅力は「相手を選ばない」ということだろう。その"相手"というのは個人・法人・NPO・町内会、つまり顧客が誰であろうと"営業先"になり得るんだ。個人レベルで考えても、赤ちゃんからお年寄りまで...いやいや、生まれた瞬間から亡くなった後まで"保険"は係わってくる。さらに、顧客自身の業種も問わない...友達・学生・主婦・社会人・定年退職者、誰であろうと"保険"は係わってくる。ちなみに「何かあった時に自分では賄いきれない損失補填のため!」が保険なのだが、不思議なことに「自分で賄いきれる」ほどの資産を持つ人ほど"万全な保険"を準備している傾向がある。資産家というのはリスク対策についても万全を期しているものなんだ。

    さらに普通の営業職というのは大抵は"エリア"が決められているもの。地域で割り当てられる業種もあれば、ルートセールスのように営業コースが決まってることも多いだろう。もしくは来店型のように顧客の足を運ばせるというのも立派な営業だ。しかし、保険代理業というのは基本的にそのような"エリア"を全く限定しない。顧客が分散すればするほどイザというときの時間的・距離的な対応が難しくなるので地元密着で成り立つならそれが一番だ。しかし、顧客あってこその商売、数字的損益でプラスになるならばどこへでも飛んで行くべきだと思っている。場合によっては、目先の数字的に赤字でも将来的な利益が望めるならばやはり行くべきだろうね。

    営業というのは多くの業界で好調不調の波が当然ある。オレ自身も毎月がサーファー状態なわけだが、そんな中、常々意識しているのがこんなこと。

    『好調な時のうちに、不調な時の対策を立てておくこと』

    好調な時というのは理屈に関係なくトントン拍子で過ぎて行くことが多い。寧ろ、問題なのは不調な時だ。余裕がある時ほど慎重に考えて、不調な時の対策を練っておけば最悪の状況は避けられるはず。おかげで8月は『ニッパチ』の真っ只中でも好調な数字を残せた。そして9月...今月は損害保険分野が少々厳しいかな、と思っていたがそんなことは数ヶ月前からわかっていたこと。その対策として準備していた生命保険分野が月初から計画通りに調子が良い。久しぶりの月10件の新規契約も充分狙えそうだ。今月もやってやるぜ。  


  • 2011年09月02日 Posted by ゴンすけ at 22:33Comments(0)

    『夢』をさらに語り続ける

    一昨日と昨日からの続き。

    『夢』を語り始めたら止まらないぜ。もっともオレにとっての『夢』というのはイコール『目標』ということなんだけど...まぁそんなことはどうでも良い。

    昨日は、"手に入れたいもの・会ってみたい人"についてあれこれ書いたが、『行ってみたいところ』にも同じことが言えると思う。強制的とか仕事上とかは別として、強く強く願っていればどこにでも行ける気がする。旅行や留学だってきっとそうだ。願っていない国に海外旅行へ行く人なんかいるわけない。「行ってみたいなー」という憧れから始まって、情報を集めて、お金を貯めて、やっとそこへ行く...というのが普通だ。目的地が定まっていないのにそこへ行けるはずがない。

    さて、その目的地だが、これは『人生の目標』でも同じことが言えると思う。2日前に書いた一文...

    "「オレはこんな平凡なまま終わりたくない、もっとビッグになってやるんだ~」と思っていても(オレを含め)ほとんどの人が実現できないのはなぜか?"

    こればかりは"物欲"と違って「お金で解決できること」ではないから難しい。でも、これも友達や読書を通じて出てきたオレなりの答えはこうだ。

    『どんなに優秀なカーナビでも、今の"現在地"がわからなければ絶対に目的地へ着かない。』

    クルマを運転する人ならピンとくるだろうけど、カーナビってやつは"目的地"を設定すると道案内を開始する。でもどんなに優秀なカーナビでも"GPS受信機"が無ければ単なる道路地図だ。つまり、GPSから得られる"現在地"という情報が無ければいつまで待っても道案内は始まらない。言い換えれば「自分の居場所がわからなければ、目的地だけわかっていても一生着くことは出来ない。」...ま、偶然着くことはあるかもしれないけどさ、その確率は相当低いだろう。

    仮にオレが「新宿に行きたい!」と思っていても、今のオレがどこにいるのか自覚していなかったら多分一生新宿には着けない。もしそのとき渋谷あたりにいたとしても、オレ自身が"今、渋谷にいる"ということが認識できていなかったら新宿の方角さえもわからない。新宿まで目と鼻の先にもかかわらず、横浜方面へ歩き出す可能性は大いにある。「アメリカに行きたい!」と思ったときも同じ。オレが「今、日本にいるんだ」ということを認識していなかったら一生アメリカには行けないだろう。

    ...話が逸れてしまったが『人生』も同じだと思う。どんなに「いつかビッグになりたい!」と思っていても、自分自身が"現時点"のポジション・スキル・人脈などを完全に把握していなかったら絶対にそうなれるはずがない。...もっとも、「いつか」とか「ビッグに」などと『願望』が曖昧なうちは、現在地どころか目的地もよくわかっていない証拠だ。そんな状態で実現できるわけがない。

    人生の目標が決まったのなら、次に把握すべきは『現在地(自分の居場所)』だ。もしかしたら、その『目的地(目標)』はすぐ近くなのかもしれない。すごく遠いのであれば『交通手段』を探す必要があるよね。目的地の『形状(具体的な最終地点)』によっては飛行機かもしれないし、ヘリ、船、車、徒歩でしか行けないかもしれない。オレはその交通手段こそ『人脈』だと思ってる。そして、もし目的地まで渋滞(目標の障害)があるならば、多少遠回りしても別ルートを探す必要があるかもね。どんなに迂回したって『目的地と現在地の場所』が常にブレることなく把握できていれば多少の時間差があっても必ずゴールできるはずだ。

    きっと人生が思い通りに動かないのは、その時その時の『現在地』が把握できていないからだ。こんなことを書いているオレ自身が、目的地と現在地をたまに見失ってしまうことも問題だ。もっと具体的なビジョンと期日を明確なものにしないと『夢』の実現は難しい。そうでなければ、ゴールどころかいつまでたってもスタートさえ出来ない。  


  • 2011年09月01日 Posted by ゴンすけ at 22:45Comments(0)

    『夢』を語り続ける

    昨日からの続き。

    『夢』というのは各々にとっての『=希望・願望・目標』であると思うのだが、大きな夢がすぐに叶わないのは仕方ないにしても、小さな夢ですらなかなか実現しないのはナゼなんだろう?...と、真剣に友達と語り合ったり本を読んだりする中で辿りついたオレなりの答えはこうだ。

    『本気で実現させてようと思っていないから。』

    例えばTVで美味しそうな店の紹介をやっていて、その時は「行ってみたいな~」と思っても、観終わって数分経ったらアタマの片隅にも残っていないことがある。面白そうなレジャーを見聞きした時も然り。きっと夢が小さ過ぎて、本気で行こう・やってみよう、と願っていないから一瞬の『願望』のまま自然消滅しているんだと思う。一方、個人的な『夢リスト』に書き込んだ小さな夢を時々眺めていると、ふとしたときに「あ、今日そっち方面へ行くからついでに寄ってみようかな」とか「それなら一緒に行ってみようぜ」と人から誘われたりして、軽いノリで達成できたことがこれまで何度もあった...まぁ、本当に小さな夢の場合だけど。

    とはいえ、欲しいモノもそうだった。クルマ好きなオレは大学生の頃に"ある1台のBMW"にとても憧れていた。ところが当時は中古でも1,000万円近くする上、もともと販売台数が少ないBMWだったということもあり、それこそオレにとっては本当に『夢』でしかなかった。でも大学を卒業して社会人になっても諦めなかった。'99年式が最終モデルとなるそのクルマ『BMW840ci M-Individual』、ディーラーで調べてもらったら日本では44台しか登録していないそうなので、街中で見かけることはほとんど無い。しかし、心から強く強く願っていると、不思議と年に何回かは見かけることがあった。そして見かける度に「いつか手に入れるぞ」と願っていた結果、26歳のときようやく手に入った。7年越しの願いが叶った瞬間だった。

    "会ってみたい人"という『夢』もまた同じだ。社会人になってから読んだ本で、『ユダヤ人大富豪の教え』本田健(著)という本があった。何気なく立ち寄った本屋で、何気なく買った本だ。この手の本が大好きなオレは、この本をきっかけに何冊もの著書を読んだ。『成功の掟』マーク・フィッシャー(著)とも若干かぶる内容ではあったが、いつしか「この本を書いてる人に会ってみたいなぁ」と思うようになった。そんな願望をあちこちの友達に話しているうちに同じ思いを持った人と偶然知り合った。そして、アメリカを拠点にしている同氏がたまたま東京で講演会をやるという情報を聞きつけたので参加してみた。たしか2,000人くらいの観客(って言うのか?)の中、オレは念願の同氏に会えたので聴くだけでも満足だった。しかし、オレの願望は願っていた以上の結果を引き寄せてくれた。講演会の休憩時間、混み合っているロビーとは反対側の暗がりでリラックスしてたら偶然そこに本田健さんも一人で現れたんだ。お互い一人でいたので、5分ほど立ち話をすることが出来た。

    ちなみにどこかで聞いた話、「"会ってみたい人"がどんなにスゴイ人でも、自分の友達の友達の友達の友達の友達の友達の友達(7人目)には必ず辿りつく。」だそうだ。

    本気で実現させようと思っている『夢』は、時間はかかっても大抵のことは実現できるとオレは信じている。その願いがホンモノなら尚のこと。本気であればあるほど自分で気づかぬうちに色々な人に『夢』を語っていて、自分で気づかぬうちに『協力者』が現れて、自分で気づかぬうちにその夢へ『近づいている』んだと思う。

    『夢』はより具体的に、より多くの人に、より肯定的に思い描き続けていれば、いつか現実のモノになるさ。きっと。  


  • 2011年08月31日 Posted by ゴンすけ at 22:44Comments(0)

    『夢』を実現させるために...

    『夢』をテーマに友達と語ることがたまにある。夢と言っても、別に"昨日見た夢"とかの話じゃ無くて、人生において実現させたい"夢"の話。聞く人によっては「何を戯ごと言ってるんだ、もっと現実を見ろ」って言う人もいるだろうけど、申し訳ないがオレはそのような向上心の無い人とは友達にならない。オレにとって『夢=希望・目標』なので、自分を向上させる『夢』について語り合える友達を持つオレはとても幸せだ。

    前にも書いたかもしれないけど、オレには多くの『夢』がある。ずいぶん前に『夢のリスト』という一覧表を作って『やりたいこと・行きたいところ・会ってみたい人・欲しいもの...etc.』を書き出してみたら何十個にもなった。勿論、そのリストに書き出す『夢』というのは、現時点のオレに実現可能か不可能かは関係無い。今は無理でも、もしかしたら"いつか"達成できるかもしれないからね。実際に紙とかに書き出してみると、忘れかけていた『小さな夢』も出てくるから面白い。やろうと思えばすぐにでも達成できそうな「~が食べてみたい」とかね。

    でもそんなくだらないような、どうでもよいような、すぐにできそうな小さな夢であったとしても、知らぬ間にアタマの片隅からも消えてしまっているせいで未だ実現していないことも多い。...それはなぜか?

    ついでに言えば、「オレはこんな平凡なまま終わりたくない、もっとビッグになってやるんだ~」と思っていても(オレを含め)ほとんどの人が実現できないのはなぜか?

    ...続きを書こうと思ったけどオレは『夢』について語り始めると長くなりそうなので、この忙しい月末が終わってから書こっと。

    さ~て、仕事仕事。  


  • 2011年08月30日 Posted by ゴンすけ at 23:56Comments(0)

    マネジメントゲーム

    ゲームを通じて経営・会計・財務を学ぶという研修を過去に何度か耳にしたことがある。今までもそういった類の研修には興味こそあれど費用的な問題もあったりするのでスルーしてきたが、昨日はそれらマネジメントゲームの本家本物、『マネジメントゲームMG』という一日研修に縁があって参加してきた。久しぶりの"朝から夜まで研修"であったが、さすが世界のSONYが開発しただけあり、とても白熱した実のある研修だった。

    巷に出回るマネジメントゲームはいくつかあるようだが、それらはすべてこのソニー社&CDI社(現:ソニー・ヒューマンキャピタル社)開発の『マネジメントゲームMG』の模倣なんだとか。勿論、パクリであろうが他社の研修を受講したことが無いので善し悪しの判断はできないけどね。でもどうせ"経営"を学ぶならやはり本家が一番だろう。ソフトバンクの孫正義社長が創業前に受講し、後に「このマネジメントゲームMGを体験していなかったら今日のソフトバンクは無かった」と絶賛していることでも知られている。

    そうは言っても経営・会計・財務をシミュレーションで学ぶといえどゲームはゲーム...と、思っていたが、されどゲームだった。経営や会計の本は今までも数多く読んできたつもりだが、参考になっても実践に役立つモノはそうそう出会わない。ところがこのMGは違った。ゲームと言っても、出てくる言葉は全てビジネス用語だ。手元には『資金繰り表』と電卓を準備し、入金・出金を常にチェックする。決算を迎える度に『決算フローチャート』にP/L(損益計算書)、B/S(貸借対照表)、などの財務諸表を書き込んでいく。資金調達、仕入、販売、広告、雇用、そのタイミングをちょっとでも誤れば財務が一気に苦しくなったり。何よりも"本"と違うのは、ライバルと競っているので"刻々と状況が変化すること"だ。自分の経営計画も状況が変われば早めに軌道修正しておかないと致命的なことになる。こんなヒートアップするゲームにはこれまで出会ったことが無かった。

    一日研修で21,000円。自己負担による研修費用としては決して安いコストでは無い。しかし、終わってみれば間違いなく21,000円以上の価値があった。いや、この知識...というか経験は、オレという人間に対して相当なプラスな体験だ。この先を考えれば、格安な自己投資だったと思える。

    『マネジメントゲームMG』、経営を"楽しく真剣に学びたい"という人には絶対にお勧めだ。機会があったら是非やってみて欲しい。あとは、この体験をどう生かしていくのか...それがオレ自身に課せられた新たな課題だ。
      


  • 2011年08月29日 Posted by ゴンすけ at 23:59Comments(0)

    疲れたときは...

    やっぱ色々と疲れたっぽいな、オレ。何事にも気分が乗らないや。

    でもこんな気分の時こそ、我が母校、拓殖大学で学んだ"押忍の精神"ですね、本間先輩。

    ...ところで、『押忍』って何だろ?と思って広辞苑で調べてみたが...なんと、記載無し。

    でも拓殖大学陸上部の"押忍"は、あーだこーだの理屈じゃない。

    なんと表現すれば良いんでしょうね?『気合い』ですかね?...んー、他の表現が見つかりません。

    とりあえず、こんなモヤ~っとした気分のときは気合いで乗り切ろう。

    そんな日曜日。今日は気分転換を兼ねて朝から夜まで任意の一日研修に参加。参加費21,000円也。

    精神的に疲れたときは、敢えて刺激を与えるのがオレ流だ。  


  • 2011年08月28日 Posted by ゴンすけ at 23:59Comments(2)

    人生

    『人生』という言葉は「人が生きること」なのか?「人が生かされること」なのか?

    今までだったら楽しかったことが、楽しく感じなくなってしまったり。

    ...疲れてるのかな、オレらしくない。いつの間にこんなネガティブ野郎になったんだ、オレ?  


  • 2011年08月27日 Posted by ゴンすけ at 23:59Comments(0)

    入院

    blogでは"自分"のことはいくらでも書くけど"プライベート"はほとんど書かない主義のオレなんだが...。

    本日、今年2月に生まれた0歳6カ月になる息子が緊急入院することになった。

    息子は5月のGW中に2週間入院し、来月中旬も全く別のことで入院を予定しているのだが...心配だ。  


  • 2011年08月26日 Posted by ゴンすけ at 23:58Comments(0)

    何のための雑学か?

    営業という仕事は『契約を勝ち取りに行くこと』が最終的な目的であるのだが、そこに至るまでには色々なハードルがある。自己紹介に始まり、ヒアリング、プランニングなどの、いわゆる『セールスプロセス』というやつだ。そして無事にクロージングに辿り着くまでの間には『会話』というツールが無くてはならない。いくら商品が素晴らしくても、営業マンと顧客の『会話』の相性が悪ければ成約確度は格段に落ちる。

    そして営業先においては、法人・個人の如何を問わず本来の"商談"に"雑談"が混ざることが多い。個人の場合は特にその割合が増える。そこで出てくるテーマは様々だ。政治や経済について語ることもあれば、ワイドショーや町内話だったり。それらについて情報を持っていなければそこで会話が途絶えてしまうこともあるので、雑談に必要な『雑学』というのは営業マンとして無視できないテーマだ。そこで今日はオレが営業活動に必要だと考える第3弾、『雑学』について。

    【雑学】・・・『雑多な物事・方面にわたる、系統立っていない学問・知識。』

    そう、まさにコレが必要。オレ自身はFPであり、保険外交員でもあるが、それ以外については何の専門家でも無い。『雑学』を営業会話の小ネタとして使うのであれば、特定分野の専門家になる必要は無い。話題豊富な営業マンを目指すのであれば"広く浅く"知識を持つことが大事。広く"深く"知識を持てるのなら最高だが、そんな勉強をやる余裕があるなら営業マンを辞めて専門家を目指した方が良いだろう。一つのモノに没頭するのが苦手なオレには、そりゃ無理ってもんだ。事務所に閉じこもってデスクワークをやるのでさえ苦痛なんだから...。オレはやっぱり外で色々な人と会っている方が好き。

    しかし、多くの人と様々なジャンルについて会話をするとなれば雑学の情報収集が欠かせない。これは『相手の関心事やペースに合わせるため』ではなくて、『こいつは何でも知ってるやつだな?』と思わせるためだ。何度会っても飽きること無く、何度でも会いたくなるような魅力ある人物というのは、大概にして話題豊富な人物であることが多い。営業マンというより、個人的にもオレはそんな人物を目指したい。

    ではそこで大事な雑学の情報収集手段について。...オレの場合、順位的には『人・新聞・本・ネット』の順でこの4つがほとんどの情報源だ。TVはこの半年間、大震災のニュースとF1グランプリ以外は観た覚えが無い。そして「多くの人物と会うために『雑学』を身につけよう」と思っているのに、よく考えるとオレの雑学の多くはその"多くの人物"から得ているというのも不思議なもんだ。人から得る情報と言うのは素晴らしいね。人は己を向上させてくれる。

    ネット社会の今、新聞を購読する人が随分減っているようだが、オレにとって紙媒体の新聞が無くなってしまうのは非常に困る。新聞から得る情報というのは非常に大きい。東京都日野市以外に住んだことが無いオレが、今、世界中で起きている紛争や国際情勢や経済活動がパジャマ姿でも把握できるんだ。ネット新聞も便利で良いんだが、新聞紙面というのは"あまり興味が無い記事"でも意識せず勝手に目に飛び込んでくる。社会人になってからの14年間、購読している新聞は必ず全ページを1日と漏らさず目を通しているが、その"あまり興味が無い記事"の中に、とても役立つ内容が書かれていることは結構多い。

    どんなテーマが話題になろうとその会話の波に乗る準備、それがオレなりの雑学情報収集だ。オレはどんなテーマでも飛びついていくぜ。...そりゃ勿論、全く関心無い分野では乗り損ねることもあるけどさ。でも"とりあえず"飛びついてみなけりゃ、そこから新しい雑学は広がらないんだ。  


  • 2011年08月25日 Posted by ゴンすけ at 22:52Comments(0)

    営業と話術

    どんなにネット社会が進化して、どれだけ劣勢なっても絶対に無くなることはあり得ない"face-to-face"な営業。用件だけならメールでも伝えることは出来るが、社会生活を送る上でこの世から"会話"が無くなることは無いだろう。

    "プロの意識"から派生して、オレが営業マンとして必要だと思う第2弾、今日は『話術』について。

    今日は目の前に広辞苑があったので、いつものようにキーワード『話術』調べてみると...
    『話の仕方。話の技巧。』

    まぁ...そのまんまだね。調べるまでも無いや。でもオレが必要だと思ってる『話術』は「言葉巧みに話を進める」ということじゃない。別に話術を磨いて詐欺師やナンパ野郎を目指してるわけじゃないんだし。言葉そのものはヘタでも良いと思ってる。

    営業をやっていて過去の失敗事例を振り返ってみると、必ず共通する点がいくつかあるものだ。その中の一つがコレ、「相手が"会話好き"か"会話嫌い"の判断を見誤ったとき」そして「"会話好き"であっても"喋り好き"と"聞き好き"の判断を見誤ったとき」だ。会話嫌いな人にガーっと喋り続けても相手はドン引きする一方だし、喋り好きな相手に対してこちらが喋り過ぎるとこれもまた上手くいかない。つまり、お互いの関係が未知数ならば、せめて出会って1分以内には相手のタイプを見抜くことが望ましいね。ある程度会話が続いてから気づいたようじゃ、そこからテンポが悪くなって気まずくなるだけだ。

    そして"セールス"ということに関して言えば、ただでさえ分かりづらくて聞くのも面倒くさい『保険』という商品。その提案で失敗する一番の原因は間違いなく『専門用語』を言い過ぎることだろう。損害保険はいくつもの保険種類があるが、生命保険なんて基本的には『終身保険、定期保険、養老保険、医療保険』の4種類しか無いんだ。なのにコレを「主契約が**で、特約が××で、利差配当が△△で、解約返戻金が□□です。」みたいに専門用語ばかりで説明されたんじゃ、聞いている消費者も加入する前から拒絶反応を起こしてしまう。できるだけ一般的な言葉で、できるだけわかりやすく話すことが重要だ。保険の説明をするときに『専門用語』を完全排除しただけでも大抵の顧客はこう言ってくれる。
    「保険について、今までこんな説明を受けたことはありませんでした!」

    そして話し方やその姿勢というのは電話でもしっかり相手へ伝わると思う。オレ自身も営業をやっているせいか、街中にいるスーツ姿の"営業マン"らしき人を見るとついつい観察してしまうんだが...たとえば携帯を片手にどこかの取引先へ電話している営業マンで、頻りに一人で"お辞儀"をしている人がいる。電話なのに。...でも、あれって必ず相手にも"お辞儀"の姿が見えていると思うんだよね。多少、言葉や敬語がメチャクチャであったとしても、相手が見えない電話でお辞儀するその精神はしっかり伝わっているはずだ。

    さらに言えば、話し方というのはその人自身を現していると思う。電話でしか話したことが無い顧客も多いが、まだ見ぬその相手の会話や言葉を発するタイミング、心遣いだけでも、どんな人物なのかだいたい想像がつく。そして何年か経って初対面となったとき、想像していた人物像にさほど大きな差は無いものだ。

    仕事でもプライベートでも、言葉というのは相手に真意が伝わらなければ意味が無い。誠意をもって、わかりやすく。一方的な理論や御託を並べているのはただの独り言だ。  


  • 2011年08月24日 Posted by ゴンすけ at 23:57Comments(0)

    誠実であること

    昨日書いた"プロ意識"も大事なことではあるが、日頃、仕事をしていると時々思うことがある。
    『モノを売る"営業"という仕事は、自社・他社にかかわらず"商品知識"を持っていて当たり前の時代。その中で一歩リードするのに必要なのは"誠実・話術・雑学"だ。』

    商品知識については言うまでも無い。世の中の需給バランスが完全な売り手市場で殿様商売をやっていた10数年前までとは環境が違う。その頃の保険代理業者は、商品知識なんか持たずとも待ってればどんどん売れる時代だったらしい。...その頃のオレはまだ学生だったので"知らない世界"だが。しかし、今時そんなことをやっていたら、消費者サイドの選択肢が広がった今となってはあっという間に淘汰される。時代は完全に買い手市場&ネット社会だ。ちょっとした専門知識なら消費者の方が詳しいことだって多い。

    今日は、オレが必要だと考える『誠実』について語ってみよう。

    そもそも『誠実』って何だ?調べるまでも無いが...一応、辞書で調べるとこんな風に書いてある。
    『誠実とは、私利私欲をまじえず、真心をもって人や物事に対すること。』

    うん、やっぱり営業マンなら絶対必要なことだ。営業というのはボランティアではないので、営利目的であることは否定しない。しかし、微妙なバランスだが営利と私利は別物だ。営業は『営利≠私利』であるべきで、『営利=私利』となったことが顧客に気付かれた瞬間から信用を失う。保険外交員のコミッションというのは一件一件の契約のうちの何パーセント、という取り決めになっているので、例えば自動車保険なら顧客が支払う保険料の10~20数%、火災保険なら平均25%、賠償責任なら10~20%ってあたりが外交員の報酬だ。つまり、基本的には保険料が高い契約ほどコミッションも多くなる。

    こちらは保険のプロ、相手は保険の素人。となれば、タダでさえややこしい保険商品の補償や特約の内容を相手にロクな説明もせず複雑にゴテゴテ付帯させてしまえば必然的に保険料は高くなる。質問攻めにあっても専門用語のオンパレードで抗戦すればどうにでもなる。そうして本来なら相手に必要無い補償もどんどん付帯させればそれだけコミッションも増える。例えば、火災保険で『高台にある戸建て住宅に"床上浸水"の補償を付ける』とか、生命保険で『独身者とか専業主婦に数千万円の死亡保障をつける』とかね...全くもって、理解不能な契約だ。でもこれらは他社の保険証券でよく見かけるやり方だよ。このように、表現は悪いが相手を騙そうと思えば簡単に騙すことができると思う。問題はソレをやるか・やらないか、だけだ。

    『自分が顧客の立場だったらどう思うか?』

    当たり前のことだけど、どんな業種であれ、自分が希望していること無視して一方的な提案をしてくるような営業マンであれば、同業者がウジャウジャいる中で敢えてその営業マンを選ぶ理由は無い。長年、この仕事をやっていて、年配者ほどその傾向を強く感じる。勿論、扱っているモノが『保険』ということも影響していると思うが、「安いに越したことは無いが安心して任せられることが大事。保険料はその次だ。」という言葉をあちこちで耳にする以上、営業マンとして誠実であることは必須条件だ。

    『誠実とは、私利私欲をまじえず、真心をもって人や物事に対すること。』

    よくよく考えれば、『商品知識』なんかよりも大事なことかもしれないね。  


  • 2011年08月23日 Posted by ゴンすけ at 23:06Comments(0)

    プロの意識

    『プロとしてお金を稼ぐというのはどういうことか、趣味でやるのと何が違うのか、若い時から考えなくてはいけないと思う。「俺はいい曲を書ける天才だ」といくら言ってみても、それにお金を払ってくれる人がなければ自称にすぎない。逆に500円でも千円でもギャラをもらえば、金額に関係なくプロフェッショナルの責任と権利が生じてくる。
    ---------- 省略 ----------
    僕は職人の魂で仕事をしたいと思いますが、自分の昔の価値観や経験則にこだわり過ぎるとたちまち時代に取り残される。それを避けるためには必死に自己変革や学習を続けるしかないのです。
    ---------- 省略 ----------
    自分はこれでいいのかという自問でしょうね。勢いと熱だけでは続かないのが仕事です。夢を抱きながらも、冷静さも併せ持って欲しいと思います。』

    山下達郎(シンガー・ソングライター/音楽プロデューサー)

    ----------------------------------------------------------------2011.8.21朝日新聞『仕事力』より抜粋

    現在、自宅で購読しているのは読売新聞(巨人ファンでも無いけど)だが、ネットでは日経・朝日・読売・産経・時事通信・REUTERS・AFPBBの7つはどんなに眠くても必ず毎日目を通すオレ。そんな昨日、朝日新聞サイトの記事で上記のコラムがあった。シンガー・ソングライター山下達郎氏のコラムだ。

    この人の曲は世代を超えて幅広い層に受け入れられている。失礼極まりないが、ルックスでは...?ということはさておき、どうしてここまで長く活躍できるんだろう?その答えはきっとこのコラムにある。

    オレの仕事と山下氏の仕事には何の接点も無い。大アーティストと一保険外交員だ。当然、キャリアも違うし業種も違う。でも"社会人"として、"仕事"をして、"お金"を稼ぐ、ということだけは勝手ながら共通している...ケタこそ大きく違うけど。

    このコラムを読んで、ビビっときたな。特に一番最初の一文だ。
    『プロとしてお金を稼ぐというのはどういうことか』

    社会人になって以来この仕事を続けてきて、これまで涙を流して感謝されたことは何度もあった。事故で失った家族や身内に相談できないような事案について、相手保険会社や弁護士と交渉してきたことなど数え切れない。自分で言うのもナンだが、これまでかなりの人の安心を一手に引き受けてきたつもりだ。それはオレが自分の仕事に自信と誇りを持って日々を過ごしているから。そう、オレは保険のプロだから。

    「世の中カネじゃない」と言ったって、何もしないでお金が湧いてくるわけじゃ無い。バイトだって、労働と時間の対価としてお金を得ている。株や為替だって、自分の判断を誤れば資産が吹っ飛ぶリスクを抱えた上で投資をするんだ。日本では投資で儲けることが"悪"のイメージこそ強いが、実際はそうでは無い。「リスクは嫌だけど儲けたい」...そんなのはムシのいい話だ。

    勤務先や顧客から1円でも現金を受け取るのであれば、それなりの責任を持つのが当たり前。「今年のボーナスは少ねぇ~」とボヤいてる従業員は、それがその人の対価ってことだ。大リーガーが何億円も稼いでいるのは羨ましい限りだが、あれほど世界中からのプレッシャーを受ける毎日であることを考えれば、きっとその対価も妥当なものなんだろう。

    こんなに睡眠時間を削ってまで仕事をしてるのに何でこれだけ?と思うことがこれまでたまにあったが、それはその時の"プロ意識"が足らなかったんだろうな。うすうす気づいていたけど(汗)、自分でソレを認めたくなかったから今まで"気づいていないフリ"をしていたんだろうな、オレ。このコラムを読んで実感したよ。

    プロフェッショナルとして生きるならば、現状で思い上がっちゃいけない。常に変革と勉強を続けて冷静な判断を心掛ける。そうでなければプロがプロで居続けることはできないんだ。

    オレならできる。オレならできるはず。  


  • 2011年08月22日 Posted by ゴンすけ at 22:13Comments(0)

    お休み

    今日は色々とワケあってblogは休業。ついでにアタマが痛い。胃も痛い。...疲れた。  


  • 2011年08月21日 Posted by ゴンすけ at 23:58Comments(0)

    すべきことが山のように

    『ニッパチ』の"パチ"にあたるこの8月。前にも書いたがほとんどの業種で『2月・8月』は消費者の需要減によって売上がヘコむ。保険業界も例外ではなく、例年、8月の売り上げは芳しくない。一方、9月は上期決算の都合もあり必然的というか強引的に売上増になるもの。...というか、2ヵ月続けて低迷しているようじゃ先が思いやられる。意地でも売上増を達成させなきゃならないんだ。

    そんな8月であるが、今年度は例年以上に本気で仕事に集中した甲斐もあり、相当な増収増益を維持している。既に成熟産業となっているこの業界、さらにオレら代理店業は"業務の効率化"から収縮・集約が進む中でこの増収増益は我ながら仕事面においては満足のいく日々となっている。

    その一方、これまた先日書いたことだが『時間的』な問題がまだまだ解決できずにいる毎日。仕事もしたいが勉強もしたい。読書もしたい。自己分析する時間・ゆとりも欲しい。要は仕事面以外のプライベートおいては満足感が得られていない。これを書いてるPCの両側に山積みとなっている書類を見ると、常に目先のことしか出来ていない自分にウンザリすることもある。

    今夜はこれから明朝までの時間を使って、まずはこの両側の山をなんとかしよう。  


  • 2011年08月20日 Posted by ゴンすけ at 23:59Comments(0)

    生命保険にいくら払うのか?

    生命保険の見直しプランニングを行うとき、相談者へ問いかけるとすぐに返ってくる質問。
    「今、入っている生命保険に、月々、いくらぐらい払ってますか?」

    一方、曖昧な答えが返ってくる質問。
    「その保険料はこの先もず~っと変わらないですか?」

    そして、かつて"正確な回答"が返ってきた試しが無い質問。
    「その保険料はいつまで払うんですか?」

    最後に、半ば降参的で『わからない』という回答以外、聞いたことが無い質問。
    「最終的にその保険に対して総額いくら払うんですか?」

    以上が、我々ファイナンシャルプランナー(=FP)が生保の見直し依頼を受けると必ず質問する"定番"のセリフ。しかし、これは別に相手の"懐事情"や"保険料"を聞き出そうとしているわけじゃありません。あくまでも、現状の生命保険という"契約"に対し、どれだけ中身を把握をしているのかを探っているのです。

    生命保険というのは一般の方にとって非常にわかりづらいもの。かといって無保険で過ごしているのも不安なので、「必要だから、なんとなく...」という理由で入る人がほとんどだ。そうなってしまうと、あらかじめ自分で決めた"予算"を優先して、その範囲で保険に入ろうとする傾向が強い。「毎月、1万円以内で入れるなら良いかな...?」とかね。

    しかしそれはFPの立場からすると、一番危険な入り方だ。内容をろくに理解せず、いつまで払うのかもわからない"無期限リボ払い"みたいなモノに月々1万円を払う。=年間12万円を払う。=(20代で入ったのなら、60代になる頃には)500万円近く払うことになる。実際には"途中で値上がりするタイプ"がほとんどなので、支払総額は1,000万円を超える契約が普通だ。"予算"のことを意識しすぎて加入すると、大抵はそのような結果に陥るのがオチなんだ。

    1,000万円の買い物をするのに、中身を知らない...こんな馬鹿げた話は無い。1,000万円あったら高いBENZ、JAGUAR、PORSCHEだって買えるだろうし、中古になればFERRARIだって買える。安いハウスメーカーだったら一軒家だって建てられる。そんな金額なのに『なんとなく...』という理由でほとんどの人が入ってしまう生命保険っていったい何?

    一番の理由は「理解するのが面倒くさい」からだと思う。どちらかと言えば、生保の話というのは「あまり聞きたくない」というのが多くの人の本音だ。聞いちゃったら入らなくちゃいけなそうだし、身内親戚にも保険屋さんがいるし~みたいな感じ。オレが生命保険の営業マンになりたくなかった一番の理由もソレだ。

    しかし、一方で近年はいわゆる『保険見直しショップ』や『銀行』へ保険見直しの相談に行く人が老若男女を問わず増えている。これは消費者自身が長年入ってきた保険に疑問を感じ始めた結果ともいえる。

    このような環境が浸透してきたのか、おかげさまであちこちから依頼が入るようになってきた。オレからすれば、どこへ出向いても同じ質問、同じ説明をし、それぞれの顧客環境に見合うプランニングを土台から考えるわけなのだが、この仕事をやっていて良かったと思える出来事のひとつが『感謝してもらえること』だ。

    よほどの富裕層でもない限り、数百万円というお金は大金だ。しかし、生命保険というのは使う商品・設定次第で数百万円くらいとても"簡単に"節約することができる。月々の食事代、電気代、レジャー代を節約したってたかが知れている。多くの人にとって、自分の資産を真剣に考えるのなら生命保険の内容を軽く見てはいけない。

    生命保険というのは、本来、『いざという事態のとき、自分の資産を減らさないようにするために備えるモノ』。それが、生命保険に入ったが故に、保険料支払いで資産を削り取られてしまっては元も子もない。自分の資産だけでは不足を感じる...そのため『保険料で決めるのではなく、必要な分の保障を買う』のが生命保険だということを忘れてはいけない。

    今日、お会いした相談者...ごく普通の40代会社員の方であったが、試算してみたところ30代~80歳までの間に総額3,600万円の保険料を払わなくてはならない内容だった。ちなみに解約をした場合に返ってくるのは35万円だ。でもこのような契約は別に珍しいモノでは無い。普段、あちこちの相談者から持ちかけられる保険証券よりも、ちょっと高かったくらいの話だ。  


  • 2011年08月19日 Posted by ゴンすけ at 22:13Comments(0)